『作詞作曲かわら版...音楽都自由区1丁目 003 松見さん』

作詞作曲自由区のメンバーの皆さんの思いを込めた 音楽エッセイを ご紹介します。

理論的なお話や 新曲紹介 音にまつわる思い出話 音が溢れる日常のお話……を
『作詞作曲かわら版…音楽都自由区1丁目』と題して 不定期でお送りします。
野口義修のエッセイも交えて 盛り上げていきたいとおもいます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

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Vol.003 松見祐加里さん……(楽譜浄書ソフト)フィナーレの使い手!

『振り返る時』

「あなたの思い出の歌はなんですか?」と尋ねられて、皆さんはなんと答えますか?
そう質問されて、心の中にどんな情景が思い浮かびますか?

私にとっての「思い出の歌」は、「愛は花、君はその種子」です。

この歌は、映画「おもひでぽろぽろ」のエンディングで流れるものです(原曲はAmanda McBroom作詞作曲「The Rose」 日本語訳詞/高畑勲)。

高校時代、部員数の少ないコーラス部に入部した私は、先輩たちの歌う混声四部の編曲でこの歌を知り、
あまりの温かい歌詞とメロディーに泣きそうになってしまいました。

高校生活も終わりに近づき、部活のメンバーと会えるのもあと少しというある日、
「愛は花、君はその種子」を廊下で同期と輪になって歌いました。
楽譜を見なくても歌える。
狭い部室の前にある階段の踊り場。
10人足らずの同期。反響して溶ける声。
途中から歌えなくなりました。

この歌を聴くと、この光景や空気感、気持ちが蘇ります。
このように、「歌を聴いて、当時を思い出した」という話もよく耳にします。

民俗学者でもあり歌人でもあった折口信夫は、歌の背景に「うったふ(訴ふ)」、
つまり何かを伝えたいという衝動を読み取りました。

人の声のみが、全ての楽器の中でメロディーに言葉を乗せることができます。
その「声」を題材に、伝えたい衝動を乗せて、作曲者や作詞者は歌を作りました。
彼らが伝えようとした「何か」は、確実に聞いた人の経験と重なり、深く結びつきます。

そして、懐かしい歌はワクワクした気持ちや喜びをもたらすと同時に、
ある種の“切なさ”や“やるせなさ”を伴うことも往々にしてあります。

音楽が想起させる思い出は、なぜメランコリックな感情を引き起こすのでしょうか?
(メランコリック=物思いに沈むさま。憂鬱であるさま)

私は、「経験している今」が「過去」になってしまったことを、
本人が自覚してしまったことによる気がします。
「今」が「想い出」や「過去」になってしまう寂しさ! 

変わらない自分でいるはずなのに、当時の衝動や感情が、いつの間にか過ぎ去ってしまう……。
思い出すまで、思い出さなくなってしまうのです。

残酷なほどの時の流れへの気づきが、切なさのもとなのです。

逆を言えば、歌には“流動的な人生を切り取って残す力”があります。
流れて忘れられてしまうはずの出来事を、記憶に残します。

思い出の歌を思い出すだけで……こんな思いが交錯するのです。
歌の力の素晴らしさを思わずにはいられません。

こんな素晴らしい“歌”というものに出会い、好きになったおかげで、
私は自分が生きていく上できらっと光る一瞬を、
“歌を作ることで”捕まえようとしました。

歌からもらったたくさんのプレゼントを胸に、
私は自分のコトバやメロディーに乗せて、「何か」を伝えられる人になりたい。

そう強く願います。


野口義修より

作詞作曲自由区の仲間、 松見祐加理さんは、ラテン・フィーリングのメロディーが得意なお嬢さんです。
音楽浄書ソフト、フィナーレの使い手!

歌が「うったふ(訴ふ)」とは、確かに納得です。

そして、「思い出すまで、思い出さなくなってしまうのです。」という一文に、切なさを感じました。
そうやって 人は 大事なものさえ すこしずつ過去のものとして生きていくのです。

でも、音楽に乗せた思い、思い出、感情……は、いつまでも色鮮やかに残っていくのですね!

松見さんの名曲が完成することを祈っています!


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